この前TVにおいて、上海の現代ビジネス・マンの生態を紹介していた。ビジネス・マンはTVカメラの前で「安定を得るためには、貯蓄が ○○元は必要。これだけ貯めるには、あと○○年は必死に働かなくてはならない」と語っていた。以前から「学生が最強人種である」と公言している俺様にとって、上海の彼の言動は至極まっとうであり、全面的に共感してしまったのである。
中国人だけではない。米国人のビジネス・マンも同様である。米国人が抱く夢は実にシンプルだ。可能な限り若い年齢で仕事をリタイアし、家庭菜園などで野菜を栽培し、日曜大工などを嗜み、自然と触れ合い、まったりと余生を楽しむ、というものだ。こうした若年リタイアという夢を実現したいがために、若いうちに死ぬほど働くのである。35歳でリタイアとか聞くと、実に甘美な響きではないか。
一生働かなくてよいポジションを得るために、過労死する。俺様は、この気持ちが痛いほどよく分かる。究極の自由とは、働かなくてもよい状況を指す言葉であるからだ。一生遊んで暮らせるだけの現金を得た者は、単純に自己表現や世直しや趣味として、自分が真にやりたい仕事だけに取り組むことができる。この意味で、ニートは勝ち組であり、「働いたら負けだと思っている」という言葉は的を射ているのである。
現実の農業は食べていくことに必死であるだろうが、金持ちが夢想する「農業に従事していて精神的に自由なオレ」というのは、心情として良く分かるのである。やはり、親の金で生きている学生はトランプにおけるジョーカーのように最強であるし、職業としての農業は、自由人にとっての憧れであり、豊かな精神の象徴なのである。
というわけで、サッカーの中田とかロハス野郎とか慈善事業に寄付したウォーレン・バフェットとかがカッコ良く見えてしまって仕様がない。俺も大金を手にしたら彼等のようなカッコいいライフスタイルを送ることは明白だからだ。人間の状態には3段階あり、(1)金持ちなら自己演出(セルフ・プロデュース)に注力すべきであり、(2)数億円程度の現金をロト6などで手にしたらニート生活/学生生活を送るべきであり、(3)働かないと食べていけないのであれば最下層民であるということだ。