脚本が素晴らしい「プレステージ」(The Prestige、2006年)をレンタルして観る。日本における高視聴率の民放地上波連続ドラマの脚本に決して負けることのない、冒頭からラストまでブレずに首尾一貫したシナリオ。脚本的に、後味が、すこぶる良い。そしてスカーレット・ヨハンソン(Scarlett Johansson)のエロ顔が、何よりとても良い。まさに、この俺に鑑賞してもらうために生まれてきたような女である。
そんな訳で、彼女の出演作である「Lost in Translation」(2003)を借りてきたところ、DVDがくそ傷だらけでDVDドライブで認識しないという有様に見舞われる。少しむかつきつつも、店員に声をかけて事情を説明するのが面倒だったため、黙って2枚目を借りてみる。だが何と、こちらも読めない。さすがに怒りを通り超えて呆れ果て、ほぼ10年ぶりくらいに、ヨドバシカメラでセルDVDを購入してしまった。約3500円なり。
そして観る。映画の舞台は「東京」(特に夜)。主たる目的は素敵な東京を映して紹介すること。テーマは、かつて中高生の頃に感じたような恋愛感情のようなもの。衣装はもちろん真面目そうで清潔感あふれる薄手のセーター。心に残ることを狙った余韻のあるラストシーン。俺的には惑星ソラリス以来となる首都高の描写でエンド・クレジット。男女が接近するための舞台装置というか理由付けとして選ばれた、言葉が通じないことに代表される異文化としての日本。
『深夜特急』(沢木耕太郎)に描かれたアジアの喧騒に憧れ、女性雑誌の香港特集を貪るように読み、ウォン・カーウァイの「恋する惑星」と「天使の涙」を観て、職安通り界隈にあるキッチュなアジアン・ショップに通い、実際に3回も香港に足を運んだ俺にとっては、東京のどこが面白いのかサッパリ分からない。だが、それは香港人にとって香港が面白くないのと同じことなのではないか(つまり、ウォン・カーウァイの映画は外国人向け香港紹介映画であり、香港人向け映画ではないのではないか)と、ふと思った。
そして、何よりも日本人は、映画の中に登場する、外国でこの映画を鑑賞している外国人には何を喋っているのか分からないはずの日本語を、日本人であるがゆえに否応なく理解してしまう。ノイズのない状態で観ることができないため、外国人がこの映画を楽しめる分量の90パーセント程度しか楽しめない。しかし、ビジュアル的に色濃く打ち出されたスカーレット・ヨハンソンの清楚さ/高潔さに対しては、時間限定的な非日常という舞台設定において、視聴者である俺までもがピュアな感情を抱いてしまう。
だが、男優のビル・マーレイ(Bill Murray)は、あのラストシーンにおいて、どうしようもない台詞しか思い付かなかった。脚本的に、あのセリフが最初から決まっていたわけではないのではないか。そんなにチンケでイージーなストーリで果たして良いのか。まともな視聴者なら、あの台詞は絶対に想像しないし、想像したくないのではないか。解析された台詞はYouTubeに上がっているので興味があれば観るといいだろう。だが、観ると後悔する。まさに「観なければよかった」系の代表である。